たまねぎ

私の顔ってかわいいでしょ?かわいいわよね?知ってる。だってかわいいもの。でもね、時々よくわからなくなるの。私は本当に心の底から自分の顔をかわいいと思っているのか。例えば、あなたが私に「かわいい」と言ってくださる。そんな時、私は今まで自分に嘘でもついてきたように申し訳なさでいっぱいになってしまうの。なんて答えようかしら。「そんなことはわかっているわ」「そんなめっそうもない」「ありがとう」「あなたの方が可愛いわ」どれが正しいのかしら。迷ってしまう。そして、「あぁ、本当は自分のことを醜いと思っているのね」と考えるの。

私はどこからが私なのでしょう。心の奥底から「自分のことが大好き」と思える日なんてくるのでしょうか。その時、私はちゃんと誰かと向き合える人になっているのでしょうか。誰かをきちんと愛せているのでしょうか。自分の皮を剥き始めるとキリがないのです。かと思えば、いつの間にか芯に辿り着いてしまう。自己愛の正しさをずっと探している。そもそも、自分を愛するのって、烏滸がましいのではないのかしら。自分を可哀想に思っているようで、悲劇のヒロインを気取っているようで、どうしても納得がいかないのです。

じゃあ他者を愛してみましょう。いいえ、私なんかに愛されても誰も嬉しくないわ。そんなことはないわ、誰だって愛されたいもの。いいえ、みんなひとりぼっちでいたいのよ。どうして?私は一人でいたいの。嘘よ。嘘じゃないわ。傷つきたくないだけでしょう?そうかもしれない。誰だって傷つけずに愛したい。自分のことも他人のもことも。じゃあ本当に一人がいいの?いいえ、本当は一人はいやなの。私は、期待したくありません。見返りを求めるなんて馬鹿馬鹿しいって知っているの。あぁ、でもどうしてかしら。何かを、胸を踊らせながら待っているの。形のない何か。幸福を求めているのですか?破滅を願っているの?いくら問いかけても、誰も答えはしないわ。期待せずに生きていきたい。もう恋も愛もうんざりしているのに。心のどこかで、夢を見てしまうの。私たちは愛を信仰するのを、辞めるべきなのです。

それが難しいのは、どうしてなのかしらね。

あぁ、私は今日もかわいいわ。