久々

こっちに書くのは久々だ。見返してみると、いやぁ黒歴史の塊だなぁ。まあ多分何書いても黒歴史と思っちゃうんだろうけど。私はいわゆるリセット癖がある人間だと思う。Twitterのアカウントを消したり、新しいツールで自分語りをまたやり始めたり。友達もそうだ。中学、高校と今でも繋がりがあるなって思うの総勢5名である。繋がる努力がめんどくさいというのもあるけど、自分の過去が大嫌いなんだと思う。将来を考えるのも嫌なんだけどね?(おい)

自分の過去を知っている、すなわち恥と感じた出来事も知っているということ。それが嫌なんだろうなぁ…​…​まあ実際嫌なんだけどね。できれば早く新しい環境に行きたい。飽き性っていうのもその心理を加速させている。とにかく振り返らざるを得ない要因を捨てておきたい。

そんなんだからぼっちなんだぜ!って自分でも思うけど、うーん直せない。なんでだろ。もうそういう人間ってことでよろしくどうぞ。いやいや、これから先辛くなったら頼れるのはそれこそ友達かもしれないじゃないか。私には恋人だっているよ?恋人ばかりに依存してもダメなんだよ。じゃあ米津で良くない?彼は…​…​都合がつかないと厳しい時もあるけどなぁ。それは誰でもそうだよ。みたいな自問自答が前よりも多くなった。

黒歴史と思うのは、実際黒歴史なのと自分の弱さからくる羞恥心なんだろう。そんなんだから何もできないんだぜ。さっさとやることやって良い黒歴史を作っていこうぜ。

 

そんな気分

たまねぎ

私の顔ってかわいいでしょ?かわいいわよね?知ってる。だってかわいいもの。でもね、時々よくわからなくなるの。私は本当に心の底から自分の顔をかわいいと思っているのか。例えば、あなたが私に「かわいい」と言ってくださる。そんな時、私は今まで自分に嘘でもついてきたように申し訳なさでいっぱいになってしまうの。なんて答えようかしら。「そんなことはわかっているわ」「そんなめっそうもない」「ありがとう」「あなたの方が可愛いわ」どれが正しいのかしら。迷ってしまう。そして、「あぁ、本当は自分のことを醜いと思っているのね」と考えるの。

私はどこからが私なのでしょう。心の奥底から「自分のことが大好き」と思える日なんてくるのでしょうか。その時、私はちゃんと誰かと向き合える人になっているのでしょうか。誰かをきちんと愛せているのでしょうか。自分の皮を剥き始めるとキリがないのです。かと思えば、いつの間にか芯に辿り着いてしまう。自己愛の正しさをずっと探している。そもそも、自分を愛するのって、烏滸がましいのではないのかしら。自分を可哀想に思っているようで、悲劇のヒロインを気取っているようで、どうしても納得がいかないのです。

じゃあ他者を愛してみましょう。いいえ、私なんかに愛されても誰も嬉しくないわ。そんなことはないわ、誰だって愛されたいもの。いいえ、みんなひとりぼっちでいたいのよ。どうして?私は一人でいたいの。嘘よ。嘘じゃないわ。傷つきたくないだけでしょう?そうかもしれない。誰だって傷つけずに愛したい。自分のことも他人のもことも。じゃあ本当に一人がいいの?いいえ、本当は一人はいやなの。私は、期待したくありません。見返りを求めるなんて馬鹿馬鹿しいって知っているの。あぁ、でもどうしてかしら。何かを、胸を踊らせながら待っているの。形のない何か。幸福を求めているのですか?破滅を願っているの?いくら問いかけても、誰も答えはしないわ。期待せずに生きていきたい。もう恋も愛もうんざりしているのに。心のどこかで、夢を見てしまうの。私たちは愛を信仰するのを、辞めるべきなのです。

それが難しいのは、どうしてなのかしらね。

あぁ、私は今日もかわいいわ。

せんすいかん

最近お話を書いている。「お話」と形容するのはなんだか、「脚本」だとか「小説」だとか、そういうカテゴリに収めるには少しみっともない文章なんじゃないかという遠慮からきている。少し幼稚な言葉だけど、自分にとってはそれが等身大でちょうどいいと感じている。お話を書くとき、それだけしかできなくなる。何かを並行させて行うのが億劫になるし、食べることも寝ることも聴くことも見ることも拒絶したくなる。少しだけ、削って、しぼって、滓を救い上げるような作業。大げさに言ってしまうと自傷行為に近い。深く深くもぐって、息苦しくても辛くても、思いつくまで底にいる。首を絞めたくなる。それでも思いつかなくて、憂鬱になる。でも癖になってるから、結局また考えてしまう。そして思いつくと、一気に書き上げる。自分の頭に槍が刺さったみたいな。私にとってはそういう行為。

今も、この文章は息抜きに書いている。今書いているものは伝えていいものなのか、誰かに一つの意見として受け入れてもらえるのだろうか。私のせいで誰かが傷つくかもしれない。表現はコミュニケーションの一つだ。絵とか音楽とか小説とか映画とか、作品を作った人と対話できる手段だ。または他者と他者を繋げるためにの手段。私たちは作品に触れることで、誰かとおしゃべりしている。私が今書いているものは、誰かを傷つけるかもしれない。自分の価値観を語ることはとても恐ろしいことなんじゃないか。エゴなんじゃないか。誰かを殺してしまうんじゃないか。誰かに殺されてしまうんじゃないか。全部ひっくるめて怖い。言葉に責任を持たなければいけないのと同じで、表現するのにも責任が問われてしまう時代。私は自分に酔いしれて、周りを見ることができていない。戒めながら書いている。それでも、作品は誰かに観てもらわなければ完成しない。絵も音楽も小説も映画も、結局は独り言でもある。一方的だ。人間と人間の会話と同じ。

息抜きとか言ったけど、こういう文章を書いている時も、結局は深く潜っているんじゃないだろうか。自分を見つめるために、今も何かを書いている。

わかれ

電車で乗り合わせた乗客。決して交わることが無い。私らはつまりそんなものだ。たまたま乗り合わせただけ。無理に分かり合おうとしなくていいんじゃないか。誰もが納得出来るわけがない。誰からも好かれるわけじゃない。ショートケーキや唐揚げが嫌いな人がいるのと一緒で。私らに必要なのは嫌われる勇気ではない。自分のエゴを貫くための全てを嫌う勇気だ。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと言い続ける習慣だ。そうすれば自ずと誰がその場に残るかわかる。そいつらと一緒にいればいい。それ以外の奴らに割く余裕などない。いつ別れるか、いつ死ぬかもわからない私たちに、誰かのために使う時間なんてない。それでも、誰かのために自分の時間を分け与えたいと思うなら、あなたはきっとその人といるべきだ。愛してあげるべきだ。忌まわしき感情なんてない。私らの感情に個性などない。愛に個性などない。理由に個性などない。本物は一つもない。パッチワークのような心しか持たない私たちが、一つ一つの模様がバラバラの私たちがわかり合うなど不可能である。誰かの絶望も希望も理解する必要ない。愛を信仰できないならそれでもいい。恋さえも踏みにじれる人間であれ。私らの人生は自分のためにある。限られた時間の中で、叫んで転んで起きてまた叫んで。そうして命を朽ち果てさせた先に、やっと自分の意味を知ることが出来る。

 

そう願っている。

ショートケーキ

アンティークなカフェに来ている。他のお客さんはおそらくお金には困っていないおばさまばかりだ。静か、ではない。むしろ声が大きい優雅なおしゃべりと、店内に流れるクラシックが不釣り合いなくらいだ。私のキーボートを打つ音もうるさいだろう。ショートケーキに乗っているいちごをどのタイミングで食べるかによって、性格がわかるだとか、別にそういう心理テストがなくともたまに話題にあがる、ような気がする。ちなみに私は最初か最後かで迷いながらケーキを一口食べて、それからいちごを口に運ぶ派だ。かなりめんどくさい。明日食べるにしても、タイミングは変わるだろう。気まぐれでいいのだ。付加価値、というものはこういった心理テストのようなタイミングにも現れるのだろうか。ケーキひとつ食べる仕草、食べ終わった皿の綺麗さ、フォークを置く位置。何をとっても、自分が審査されているような気分になる。私には合わない。ケーキは美味しそうでついつい入ってしまうのだが。店内に入って、客層、店員の立ち振る舞い、どれを比べても場違い感がまとわりつく。カフェオレの味の違いもわからない私が来て良い場所か、と考えながらまた一口飲む。私の価値が測られているような気がして、なんだか落ち着かない。もちろん、「何を書いてるんですか?」と気さくに話しかけてくるような人間は、どこに行ってもいないので当然ここにもいない。なぜ来てしまったのか。人間の付加価値は、おそらく自分でつけてしまうもので、価値は他人が決めるものなんじゃないかと、たまに考える。付加価値はおそらく服や化粧、髪型、持っている小物、お金、個別で考えてもいい。だけど価値は、それらを全てを統合した「人間」を見る。付加されたものは枝のように生えたその人の一部でしかなく、一部を含めた全部を見られているのだ。ショートケーキだって、「上に乗っているいちごはブランドものでしてね」とケーキが付加価値だと主張したって、その人にとってはブランドかどうかなんて関係なくて、そのいちごが口に合うかによってショートケーキ全体の価値が決まる。いや、ブランドだと聞いただけで惑わされるのもまた他人なのだろうか。だとすれば、価値の見方なんて変化しやすい。割とあてにならない。価値なんてそんなものだ。自身の価値を変えるのは難しいけれど。ちなみに今回のショートケーキは美味しかった。どこのいちごだか知らないけど。

あやとり

真っ暗だ。何も見えない。ピアノを引き続き弾いても、ところどころ間違えて不協和音を奏でることしかできない。少し楽しくなって、やがて飽きてしまった。床に転がっているスマホを取り上げ、ポケットにしまい、部屋から出た。廊下も真っ暗だ。ブレーカーでも落ちたのだろうか。暗闇に慣れた目を頼りにブレーカーを確かめる。しかし、落ちていない。停電だろうか。玄関から外に出てみると、闇が広がっていた。向かいの家も、隣の家も、そのまた隣の家も、明かりがついていない。街灯も息をしていなかった。スマホTwitterを開く。タイムラインに流れていたのは、真っ暗な世界に怯えている声ばかりだった。

「なんでどこも電気ついてないの!?」「コンビニも使えない!!」「一体どうなってるんだ…​…​」「スマホの充電ヤバい」

充電という言葉で気がついた時には遅かった。スマホは死んでしまった。充電し忘れていたのだ。もう情報を手に入れることも、誰かに助けを求めることもできなくなってしまった。心細くなった。誰かいないのか、周りを見渡しながら歩いた。暫く歩いていると、髪の長い女の人が上を向いて立っていた。人を見つけた安心感で白いため息がでた。駆け寄ると女の人はこちらを向いた。

「こんばんは」

「よかった、僕だけかと思った」

「空」

「え?」

女の人が、上を指した。その先を見ると、星座を見つけられないほどの星が、たくさん散りばめられていた。砂粒をまき散らしたようなそれは、降り出しそうな勢いを感じた。僕は息を漏らした。女の人がクスっと笑う。

「素敵だね」

「…​…​これからどうすればいいんですかね」

「そうだね」

「このままずっと、電気がつかなかったら」

「でも、それも良いかなって」

「…​…​わかります」

「綺麗だよね」

「とても」

「新しい星座作らない?」

「なんですかそれ」

「だって、オリオン座がどこにあるかわからないんだもの」

「確かに」

「じゃあ、あれとあれ!」

「どれですか、わからないんですけど」

「難しいね」

彼女は楽しそうだった。強がりには見えなかった。これからの絶望を忘れさせてしまうほど、彼女の名前を聞くのも忘れるほど、息をすることさえも忘れそうなほど、美しい満天の星空が僕らを見下ろしていた。

ひみつへいき

私「予言って当たるのかな」

僕「聞かないでよ」

私「私らが生まれる前にも世界が滅ぶって予言があったらしいけど」

僕「じゃあここは天国じゃない?」

私「かもね」

僕「いやつっこんでよ」

私「死にたくないな」

僕「知らないよ」

私「…​…​だって、予言が外れるのって」

僕「決まってるね」

私「どうしても、ダメなの?」

僕「どのみち君は死ぬじゃないか」

私「…​…​…​…​いやだ」

僕「…​…​殺したくないな」

私「ダメ」

僕「どっちだよ」

私「死にたくないけど、生きていて欲しいの」

僕「…​…​…​…​」

私「またね」

僕「…​…​…​…​うん」